いよいよ息子の誕生日が明日に迫って来ました。
1才の誕生日の行事として欠かせないのが一升餅。
昨年、父が母の実家から石臼を持ち帰った理由は二つ。
一つは年末に帰省した妹の子供達に餅つきをさせてあげること、そしてもう一つが私の息子の一升餅を作ることでした。
今までにも先の二人の孫のために一升餅を作っていたのですが、それは餅つき機でのこと。
今回初めて本格的に作ろうというのですから気合いが入ります。
唯一の懸念は寒波に伴い天候が崩れることでしたが、風は冷たいものの天気は晴れていたので実行に移しました。
一升餅ですから普通は一升の餅米をつくものですが、年末の経験で一升では臼の大きさに対して量が少ないためかえって餅がつきにくく、二升でちょうどいいことがわかっていたので、(米が余っていたこともあって)米は二升分使いました。
ただ、そうなると量が多すぎてたので、一つは餅つき機で、もう一つは蒸し器をコンロにかけてと二つに分けての蒸しとなりました。
ところが、餅つき機の方はうまくいったのですが、蒸し器の方は同じ時間火にかけたにもかかわらず、臼に出してみると一部がなか米のまま。
とはいえ今さらやり直すわけにもいきませんでしたので、餅つきは続行しました。
通常、餅つきといえば二人一組で片方がついて、片方がこねる役をやることを思い浮かべますが、それはなかなかタイミングを合わせるのが素人には難しいので、杵を二つ用意して(祖父の家から持って帰った物とは別に、父がナフコで購入していました)父と二人交互に餅をついて、ある程度着いたら真ん中に集め、そしてまた交互につくということを繰り返して作業を進めました。
それでも時々、父と杵がぶつかったりしましたが、このやり方が一番合っていたみたいです。
幼いころは満足に振れなかった杵も、今となっては余裕余裕v(^_^)
あの頃のうっ憤を晴らすかの如く、存分に杵を振りまくりました。
ただ、それで潰れるかと思ったなか米が結局そのままで、おはぎの様な感じの餅になったのはちょっと残念です。
ついた餅は二つに分け、一つは一生餅に、もう片方はちぎって丸めて丸餅にしました。
さっそく食べましたが、杵でついた餅は柔らかく、よく伸びるのうえに冷めてもすぐには固くならず、機械で作った物とは全然違います。
同じ材料であるにもかかわらず、作り方が違うとこうも変わってしまうのかとびっくりします。
餅はつきたてが一番というのがよくわかりました。
一生餅の方は、ある程度固まったところで、食紅で目出たい文字を書きました。
本当は他にも「祝」「誉」「吉」など考えたのですが、母方の祖父や曽祖父の名にあやかろうという思いもあったので、結局この文字に。
これで準備は万端、あとは当日息子に背負わせるだけです。
もっとも2・3日前にようやく2,3歩歩きだしたばかりの息子が、素直に立ち上がってくれるとは思えませんが・・・(^_^;)